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五十嵐夫妻の経歴

■フードコーディネーターになる前

▶僕がフードコーディネーターになった理由その1

■2006年、当時20歳、学生だった五十嵐豪が料理研究家を目指してフードコーディネータースクールに通い始めました。

■2007年、半年間のフードコーディネータースクールを卒業。しかし仕事がなかった。

 フードコーディネーターの学校に通った人が社会で活躍できるまでをサポートするプロダクションが必要と思い起業家コンクールへ出場してファイナリストまで勝ち残る。

 審査員の社長に「あなたには魅力がある、食べられない人を食わすよりも、まずはあなたが活躍する五十嵐豪プロダクションをつくりなさい」とアドバイスされるも、自我を貫き決勝戦で敗退。

その恩師はキャリアマムの堤社長、その後謝りに行きました。その後何度も大事なお仕事を任せて頂きました。尊敬する先輩が損得関係なく教えてくださることは、そのとき自分が違う、と思っても今の自分にわからないだけで、目をつぶって飛び込むことを習慣づけています。

■独立

 2007年の4月、フードコーディネーターとして独立。作品集を持って出版社を回るも、成果なし。

当時の作戦は、資料送付許可を頂いてから、翌日に資料を直接届けにいくというゲリラ作戦。会ってくれたのは2件、家の光出版とsaita編集部。話を聞いてくれるのは数秒、成果はなかった。saita編集部では親切な方が少し話を聞いてくれました。それ以外は資料を受付で渡すだけ。この方法で成果が上がるとは思えませんでした。そもそも電話の掛け方すら知らない状態、全てが手探りで「主婦の友事件」がありますが、今は割愛します。

実績と経験がないから話すら聞いてもらえないんだ、と思いつき、「限りなくゼロに近い1でいいから実績と経験を積む」をコンセプトに動きだす。地元府中の飲食店を自転車で周り、フードコーディネーターなのでメニューの写真を綺麗に作り替えることを提案する。

何件回ってもうっとうしそうに追い返される。そんな中、雨が降ってきた。シトシトと振っていた雨は強くなり、いっこうに報われない努力がむなしく感じてきた頃でした。「失恋してフラれたみたい、まるで映画みたいなタイミングだな」なんて思っていたら、傘もささずに走り去る自転車が。白いたすきを肩にかけた、選挙運動中の若手候補者だった。正直名前、わかんないけど知らない誰かに元気づけられました。今続いているのもその名前も知らない候補者のおかげ。

■初めて

初めての仕事を書こうとしましたが、意外と読み物みたいになってきてしまったので、9月の更新で続きを書きます。